久々の ガード下 のお話しです
2年前の春 ガード下の様子を 大塚編 目白編 と
紹介したのですが
今回は 9月初めに訪れた 大久保です
大久保通りには 2つのガードが あります
明治通りから近い
山手線 の 「 新大久保駅 」
新大久保には 停車しませんが
埼京線・湘南新宿ラインも 走っています

もう一つは
中央本線 の 「 大久保駅 」 改札口は 右奥です

数年前に大久保へ来た時は ガード下の絵 など
気にも留めていませんでしたが
ブログのお蔭で 変わるものです
電車が上を走るのを見た途端に ブログの事を
思い出しました

「 新大久保駅 」 の 絵は
通りの両サイドに 描かれています
駅に近いので 人通りが絶えず 絵が見ずらいのですが





何か テーマがあるのかしら?
絵の横には 新大久保壁画制作委員会 とありましたが
他にも あったのかもしれません
見逃したのかしら?
反対側の絵
2つとも 楽しい絵ですね





もう一つのガード下は 「 大久保駅 」
下の写真で 左にある絵の手前には 喫茶店があり
来るたびに 休憩していたのですが・・・
お店が 変わっていました

絵は 改札口のお向かいに 描かれています



この辺りの町名は 「 百人町・ひゃくにんちょう 」
その謂れを 書いたものがありました

町名の由来 ( 案内板とウィキペディアから抜粋 )
内藤清成が率いていた伊賀組などの鉄砲同心は、
江戸の西の警備を担当する為に駐屯し定住する。
鉄砲組は、同心百人が配属され、百人組と呼ばれ
たのが由来。
大久保付近は、つつじの自生地で、鉄砲組が定住後、
屋敷内でつつじの栽培を行った。
明治時代には、一万株も栽培されたが、日比谷公園が
できると移される事になる。
これで 絵に つづじが描かれていた理由が わかりました
この先 隣の町名は 北新宿 ですが
昔は 何という町名だったのでしょう
街を管理するには
簡素・簡潔で 分かり易くする必要があるのでしょうが
区画整理された後の 町名は 味気なく感じます
街は変わっていくものとは 分かっていますが
歴史が詰まっている町名
大切に 受け継がれて欲しい と願っています
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