前回 西ヶ原の七社神社へ行ったのは
昨年度受講していた講座の フィールドワークの授業に
参加するためでした
ここからが この日の目的です
まず 滝乃川公園にある 御殿前・ごてんまえ遺跡 を訪ねます

現在は 残っていません
・北区飛鳥山博物館HPから
先土器時代から近世にわたる複合する遺跡で
奈良・平安時代に造られた建物の跡は、武蔵国豊島郡の
郡衙(地方役所)と 遺跡構図から 推定されています
古代の武蔵国には21の郡が置かれ、現在の東京都は
豊島郡・荏原郡・多麻郡にあたります。
この豊島郡衙の中心部分がこの一帯です。
公園の先にある 平塚神社へ 向かいます
途中 面白い木が ありました
枝を切り払っているのは 多分南側だけ
何故なのかしら?

平塚神社

平塚神社とは
・東京都寺社案内から
平塚神社は、源義家が奥州征伐の凱旋途中に当地を訪れた際に
当地の領主豊島太郎近義に
鎧一領を下賜、その鎧を埋めて 義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神と称して、
元永年中(1118-1119)に創建したといいます。
拝殿


拝殿の龍の彫り物 迫力があります

前にいる 狛犬さん
子供が下にいます

こちらは 見当たりません
見逃したのかしら?
鎧を埋めたといわれる「甲冑塚古墳」が
拝殿の裏の横手に あるそうです
非公開なので 行く事はできませんでした

境内社
菅原神社 と 大門先元稲荷神社

石室神社

この辺りが 大地だったことがわかります
・東京とりっぷ から
元禄5年・1692年編纂の『平塚明神并別当城官寺縁起絵巻』
によれば、この地に豊嶋郡の郡衙(ぐんが=郡役所)、
平安時代に豊島近義が平塚の要害を利用して
平塚城を築城した地と伝わっています。


この後 京浜東北線 上中里駅から 王子駅へ 電車で移動し
飛鳥山公園へ向かいます
飛鳥山の案内図
現在地から右下に 古墳 があります

飛鳥山の古墳群の 飛鳥山1号墳は
コンモリした小さな丘でした


古墳の前に 説明板がありました
説明と写真 発掘された石室の様子と
出土した物の写真がなければ 古墳とはわかりません
・ウイキペディアから 抜粋省略しています
飛鳥山古墳群は 公園内に分布する古墳群で、
円墳5基以上から構成される。
1989年(平成元年)・1991年(平成3年)に発掘調査を実施。
1号墳は直径31メートルの円墳で、主体部の埋葬施設は
凝灰岩質石材による切石積みの横穴式石室であり、
石室の平面形は石室中央部が膨らむ胴張り形を呈する。
古墳時代後期-終末期の6世紀後半-7世紀初頭頃の営造と推定
横の階段で 一回りしてみました


人・庶民?が 暮らし作ったものは
年月と共に 余り残らないものなのですね
この後 北区飛鳥山博物 を訪ねます
その様子は 次回へ続きます
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