今回も まだ寒い2月の下旬に遡ります
「鬼王」という名前に興味が沸き 歌舞伎町まで行きました
ここは 東新宿 明治通りと職安通りの 交差点です

頼りにならない「勘」で 左の細い道に 入ると
ここは 正面では無い様なので 職安通りへ戻ります

左手に 先程よりも大きな石の鳥居が ありました

正式名は 稲荷鬼王神社・いなりきおうじんじゃ
東京都寺社案内では
厄を除き福を授ける鬼の王様の名を持つ
全国で唯一つのお宮
とあります
ウイキペディアから 抜粋省略
承応2年・1653年:諏訪神社境内にあった福瑳稲荷を
大久保村に氏神として稲荷神社を創建。
宝暦2年1752年:紀州熊野の鬼王権現を勧請。
天保2年・1831年:稲荷神と鬼王権現を合祀し、稲荷鬼王神社と命名。
鳥居の先の狛犬さんは 高い所に居て
下からしか写せず お顔がよくわかりません
よく見る狛犬さんより細身で 姿かたちが 少し違っています


本殿は 思っていたよりも 小さいのです

両脇の石灯籠の下に 貼られていた言葉
・ なるようになる心配するな : 一休禅師
・ 無理をするな 素直であれ : 種田山頭火
読むと納得するのですが 悟るのは ナカナカ難しいのです
本殿に近いところに もう一対の 狛犬さん


本殿の横には 厄除けの事が 書かれています

本殿横に 江戸時代から伝わる 天水琴があります
音は 聞きませんでした


本殿の手前に 恵比壽神社があります
恵比寿様が祀られていたお寺が 江戸時代に火災にあい
稲荷鬼王神社の境内に 祀られるようなったそうです
10月には 「新宿ゑびす祭」があり
境内に「べったら店」が 出店するそうです



恵比寿神社にも 水琴窟が あります


本殿の横を行くと 石の鳥居がありました
右にも左にも 幾つもの石の碑?があります

奥に見えるは 富士塚
右奥には 馬返し の文字 が ありました



浅間神社と刻まれた石も あります

後からネットで見ると わかりました
寺社inTokyoから 抜粋省略
浅間神社も明治27年・1894年に、稲荷鬼王神社に合祀される。
昭和5年・1930年に、西大久保の厄除け富士として再建される。
東京大空襲により石の基盤石が緩み、現在は1合目から
4合目までと、5合目から頂上までが参道を挟んで
向かい合わせになっている。
本殿の方に戻る時 怖いもの? が 下にいました

書いてあるのを読むと 見た目の怖さとは違いました
眼球食鬼
人の眼を浄化し
人の眼を癒し
人の眼を救済する
鳥居の左側にある 石で作られた 通称「力様りきさま」を
見つけられませんでした
鬼型の力士が 水盤を載せて四股を踏んでいるもので
病や苦しみを追い払っている姿を表現しているそうです
この神社では
節分の際に「福は内、鬼は内」と唱え 豆まきをするそうです
鬼を春の神 とみなしているそうです
珍しい「鬼」がつく 名前の神社に
村・街の歴史を 感じる事ができました
そして 今でも受け継いでいる事
これからも 伝えて欲しい と思います
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