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笑子(しょうこ)

Author:笑子(しょうこ)
笑子(しょうこ)
笑って毎日を過ごしたいと、気持ちを込めた名前です。
楽しみにと手仕事を始めました。
刺し子、刺繍とも、独学なので分からない事だらけ。
知識がない分、易しいステッチ(運針?)を中心に
デザインを楽しんでいます。


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文京区 小日向神社


文京区にある 江戸川橋付近の地図をみて
小日向・こびなた には 
お寺や神社が 多くあることに気がつきました

バスで行けば 遠い所ではありません
1月下旬に 行ってみました

江戸川橋駅の上にある案内図で見ると
下が江戸川橋駅で 上が飯田橋方面になります

地図の上下に流れる神田川に架かる橋で 
上にある 古川橋から 左側に向かいます
帰りは 下にある 華水橋に 戻る事になりました

20230328 小日向神社 1 江戸川橋


古川橋は 上に高速道路 片側は道路 反対側には ビルが立ち並び 
都会の川の風景と 言えるでしょうか

20230328 小日向神社 2 江戸川橋


川を渡り 先へ行くと
旧小日向・水道町 町名案内板があり
この界隈の様子が わかります

20230328 小日向神社 5 江戸川橋

20230328 小日向神社 3 江戸川橋


字が小さくて見づらいので 書いてみましたが 長いです 
            ・省略加筆してあります
       (昭和41年までの町名)
   古くは、小日向村の内でほとんど畑であった。
   明暦2年・1656年町屋となった。
   正徳3年・1713年町方支配になった。
   承応年中・1652~55年から、
   町は神田浄水定浚・じょうざらえ を命ぜられたので
   水道町と名づけられた。
   明治2年、智願寺、清光院、龍興寺の門前を併せ
   同5年、久世氏低および武家地、寺地を併せた。
   大日坂から西、音羽通りの崖上一帯は、下総関宿の藩主
   久世大和守(老住職の家柄)の下屋敷であった。
   明治維新後長く草原となり、今も久世山と呼ばれている。

地図を見ると 多くの寺社があるのがわかります
この日は 幾つかを 廻ってみる事が目標です

20230328 小日向神社 4 江戸川橋


途中の坂にも 案内板があり 坂の名前は 服部坂

20230328 小日向神社 6 江戸川橋


この小日向地区は 今は住宅が多く 昔の面影は見当たりませんが
歴史が詰まっている所でした
 
先を行くと 左手に 石の鳥居がありました

20230328 神社の中 1 江戸川橋


小日向・こびなた神社の由来を書いた掲示案内があったのですが
読みにくいので 東京都寺社案内から 抜粋省略
   氷川神社と田中八幡神社とが合祀して明治2年に
   小日向神社となったといいます。
   氷川神社は、常陸国長官平貞盛が、日輪寺の上の
   蓮華山に天慶3年(940)建立、
   八幡神社は音羽一丁目(現在今宮神社が鎮座)に
   貞観3年(860)建立したものといい、両社とも
   古くより当地周辺の鎮守社であったといいます。
   明治5年村社に列格していました。

20230328 神社の中 2 江戸川橋


手水の後ろには 下に屋根が見えます

20230328 神社の中 3 江戸川橋


古いものか ハッキリと分かりませんが
手水の手前にある彫り物の 中央に見えるのは 動物でしょうか?

20230328 神社の中 4 江戸川橋


小日向神社

20230328 神社の中 5 江戸川橋

20230328 神社の中 6 江戸川橋

20230328 神社の中 7 江戸川橋

20230328 神社の中 8 江戸川橋


両脇に控えているのは 白い獅子
台座にも 獅子がいますが こちらは古いのかしら?

20230328 神社の中 10 江戸川橋

20230328 神社の中 11 江戸川橋


本殿の横にある階段を上り 上から見下ろしました

ネットで読んだ説明の中に  抜粋省略
   有栖川宮・小松宮の掛軸や額等があったが、
   昭和20年(1945)の空襲ですべてのものを焼失。
   現在、残っているものは短刀二振だけである。

本殿も小さく 敷地も狭く思いますが
昔とは 違っていたのでしょうね

20230328 神社の中 12 江戸川橋


その後 坂道を行くと 周辺の案内板が ありました

20230328 小日向神社 8 江戸川橋


中央右上の ①しばられ地蔵まで 行きたいのです

20230328 小日向神社 7 江戸川橋


長くなるので 続きます


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