9月下旬 銀座へ 出かけました
目的地は 銀座2丁目にある 銀座ブロッサム
この辺りへ 行った事が無いのでは? と 思い歩きました
本通りを避けて
方向音痴なのに 当てずっぽう で 何処へ出るやら
と 思いつつ歩きます
柳の木が ありました

根元に 銀座二世柳 と 案内が ありました

ネットでみると 歴史もわかりました
銀座の柳は
戦渦やオリンピックのビル建設などと
昭和43年・1968年 銀座通りの改修工事などで
柳の枯死や衰弱が 目立ち柳は撤去される
残った柳は 日本各地に「銀座の柳」として移植された
昭和59年・1984年 銀座の柳が3本だけ残っている
ことを知った銀座の有志が 枝を持ち帰り
接ぎ木して 二世柳を復活させ、全国に寄贈した そうです
それにしても ここは何処? と 周りを見ると
滑り台があり 京橋公園とわかりました

京橋公園は 震災復興の時に整備された公園で
コンクリート製すべり台は 当時の面影を残すものとして
長い間公園利用者の皆様に親しまれてきました
しかし、すべり面の側壁が低いなど、現在の
「遊具の安全基準」を満たしておらず、またコンクリートの
老朽化が進んでいたことから、撤去する事になりました。
平成23年 一部省略してあります

その奥には もう一つ 滑り台
遊具は 多くありませんが
ベニコブシ 百日紅 などの木が 植えられえて
子供の遊び場 大人の憩いの場 のようです

京橋公園から 歩いて行くと しんとみばし・新富橋 に出ます
橋というけれど 下は 川では無く 高速道路


新しい物だけでなく 道沿いには 古い面影も 残っていました

この先 目的地の向こう側にも橋があり 寄ってみました
三吉橋・みよしばし で 横に碑があります

三吉橋
築地川の屈折した地点に、楓川と結ぶ水路(楓川と
築地川連絡水路)が開削され、川が三俣の形となった所に
関東大震災の復興計画の一環として、昭和4年12月に
三俣の橋が架けられました。
川が存在し、人々の暮らしも川を中心に営まれ
川筋を酒荷の船などが通った情緒ある風景も、
今は高速道路と化し、陸橋となりました。
平成4・5年にわたり、高欄には水辺に映える
木立の姿を取り入れ、古き風情を感じさせるデザインで
修景しました
平成5年 一部省略してあります

川の流れと 橋の名前
縦は築地川で 一番下が三吉橋
三吉橋の左は連絡運河で 右は築地川

銀座の歴史も 知らない事ばかりです
寄り道をしたお陰で 少しは 知識が増えたようです
初めて訪れた 銀座ブロッサム 中央会館

ホール入口

中へ入り ステージと客席



この日は GINZA文楽 が ありました

演目は 端模様夢路門松・つめもようゆめじのかどまつ
勘十郎さんが 1980年代に書き上げた 新作浄瑠璃
作曲は 鶴澤清介さん です


文楽は 1体の人形を 3人で遣いますが
その他大勢 場合・軍隊や町人など が出る場合は
一人で ツメ人形 を遣います
その ツメ人形が 主役になった お話しです

Part2では
木ノ下裕一さんとの対談
この新作浄瑠璃を書いたキッカケ や その当時のお話し
古典と現代の文化など 普段聞く事が出来ないお話しでした


パンフレットの絵 も 勘十郎さん
表表紙の裏には 勘十郎さんの絵と お茶目な表情の写真

勘十郎さんは 動物人形の 狐や犬なども 手作りしてしまいます
文楽に関係ある としても 様々な事を手掛けてしまう
文楽に対する 情熱 と エネルギーなのでしょうか
それがあればこそ ご活躍されているのですね

記念にと 絵葉書とバッジを お土産にしました
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