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笑子(しょうこ)

Author:笑子(しょうこ)
笑子(しょうこ)
笑って毎日を過ごしたいと、気持ちを込めた名前です。
楽しみにと手仕事を始めました。
刺し子、刺繍とも、独学なので分からない事だらけ。
知識がない分、易しいステッチ(運針?)を中心に
デザインを楽しんでいます。


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錦糸町 津軽稲荷神社


前錦糸町界隈を歩いた 前回からの続きです 

津軽稲荷神社・つがるいなりじんじゃ に 着きました

この稲荷神社の間口は狭く 
鳥居の幅を 一回り大きくした程で
鳥居の両脇をみると お隣が接近している事が よくわかります 

20221028 津軽稲荷神社 1 錦糸町


出かける前に 前もって調べない のは 何時もの事ですが 
この時は 出かける前に見た地図で 見た記憶がなく
駅前で見た地図を頼りに 向かいました

そこで 帰宅してから 調べました
東京寺社案内 と ウィキペディアから 抜粋省略
   創建年代は不明。
   弘前藩津軽家江戸中屋敷の屋敷神として創建され、
   幕藩体制成立後に成立したものと推測される。
   明治時代の廃藩置県で、旧中屋敷跡地は陸軍糧秣廠となったが、
   稲荷社はそのまま残り、この地一帯の地守神として残され
   「津軽稲荷神社」と呼ばれるようになる。
   
津軽藩から 来ている事が わかりました

入口の右側に 手水が ありますが
こちら側も お隣の建物が 迫っています

20221028 津軽稲荷神社 2 錦糸町
 

その先にある 石灯籠は 左右で カタチが違います
石の丸みが 少し違ってみえます

20221028 津軽稲荷神社 3 錦糸町

20221028 津軽稲荷神社 4 錦糸町


勝手に推測すると 時代が違うのでしょうか??
何らかの理由で 一方を作り直したのかもしれません??

正面の本殿前 左右に のぼり旗がならんでいます

20221028 津軽稲荷神社 5 錦糸町


のぼり旗の先 本殿の前には 狐さん

20221028 津軽稲荷神社 6 錦糸町


今回は 横顔です

20221028 津軽稲荷神社 7 錦糸町

20221028 津軽稲荷神社 8 錦糸町


本殿を写したのですが 今 写真を見て気がついた事が ありました

上に掲げてある 稲荷の 稲の字が??
写真を 明るくしてアップしても よくわかりません

20221028 津軽稲荷神社 9 錦糸町


もう一つ
前にも 見過ごしたことがありましたが
この稲荷神社でも 何と屋根の上に 狐さんが いたのです

20221028 津軽稲荷神社 10 錦糸町


本殿の横に 朱色の可愛らしい橋が 架かっていました
小さくて 数歩で渡る事ができます

20221028 津軽稲荷神社 11 錦糸町

20221028 津軽稲荷神社 12 錦糸町


奥に 弁財天が 祀られています

20221028 津軽稲荷神社 13 錦糸町


外とは隔絶された 小さな空間を 感じる事が出来ます

橋の手前から 表を見ます

20221028 津軽稲荷神社 14 錦糸町


本殿の前 狐さんの所からも 
表の道の方を 写します

20221028 津軽稲荷神社 15 錦糸町


小さな稲荷神社でした
それでも 一時ですが  
世の中の喧騒や 日常の雑多な事柄から 
頭と心が 離れる事ができました


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錦糸公園 


8月中旬 墨田区・錦糸町へ 行きました

早目に着いて 寄り道をします
むかし昔 錦糸町のお隣 両国に住んでいた事があります
錦糸町へは 頻繁に来たわけでは無いのですが 懐かしい所です 

20221023 錦糸公園 1 錦糸町


駅前から 錦糸公園へ 向かいます
地図では 中央にある駅から 右上の緑色が 錦糸公園

20221023 錦糸公園 2 錦糸町


駅から通りを北へ行くと 右手にあります

20221023 錦糸公園 3 錦糸町


錦糸公園の事を 帰宅してから調べてみると
東京を散歩する から 抜粋省略
<歴史>
    元々は帝国陸軍が管理する兵士用の食糧庫があった。
    1923年の関東大震災を機に公園として整備され、
    1928年7月に開園した。
    戦時中は空襲からの避難所、および戦災で命を落とした
    人たちの仮埋葬所として機能したという歴史も持つ。
<備考>
    総面積は約5万6千平方メートル。公園の北側には
    服部時計店(現・セイコーホールディングス株式会社)の
    製造・開発部門である「精工舎」の工場があったが、
    2006年からは複合商業施設「オリナス」に様変わりしている

歴史のある公園だとは 知りませんでした

両際に大きな木々があり 奥に噴水が見えます

20221023 錦糸公園 4 錦糸町


昔は 噴水があったかしら? 全く記憶にないのです

20221023 錦糸公園 5 錦糸町


広い芝生
広場で 夏に 仮設の舞台で 墨田区主催のコンサートや
夏祭りなどに 来たのです
芝生の端に 時計があり SEIKOの建物があった様な??
その頃は スカイツリーや高層ビルは まだ建っていませんでした

20221023 錦糸公園 6 錦糸町


子供の遊具があったかも 覚えていません

20221023 錦糸公園 7 錦糸町


十年一昔ですもの 当たり前の事かもしれません 
バブル時代の前と今を比べると 変化が大きいのでしょうね
少し寂しい気がしますが
知らない街を歩くと思えば ワクワクします

錦糸町で 思い出す事の一つは 
駅の反対側に 有名な?お魚屋さんが ありました
種類も多く お値段もお手頃だったのです
今も営業しているのかしら?

駅の方へ 戻ります

駅前には 大きなモニュメント

20221023 錦糸公園 8 錦糸町


駅を通り過ぎ 総武線に平行した道を 川の方へいきます
途中で見た街の地図にあった 神社に行こうかと思っています

右手の横道から 雨に煙ったスカイツリーが 見えます

20221023 錦糸公園 9 錦糸町


この道沿いの木が 雨に濡れて 緑が映えています

20221023 津軽稲荷神社 1 錦糸町


この日の目的地を通り過ぎ 少し行くと ありました
道の反対側に沿って 鳥居がみえました

20221023 津軽稲荷神社 2 錦糸町


津軽稲荷神社・つがるいなりじんじゃ です
何時もですが 何も下調べはしていません
津軽といったら 東北の津軽のこと?

詳しくは 次回に続きます


刺し子刺しゅう 紫の花束


今回の 刺し子刺しゅう は ランチョンマット
色は 薄い緑色ですが 刺す前に写し忘れました

模様のイメージは チョット 大袈裟ですが
花束のツモリ と思っています

メインの花の 型紙

20221014 途中 1 紫の花束


途中のもの
初めに 紫色の大きな花 と
黄色の小さな花 を 刺します

20221014 途中 2 紫の花束


花の芯を 入れます

20221014 途中 3 紫の花束


その後の写真は 写してなかったので
仕上がりの 一歩手前のもの です
小さな紫の花 と 葉を 加えました

20221014 途中 4 紫の花束


出来上り

20221014 出来上り 1 紫の花束


布 : 綿 薄緑色
        縦:約32.0cm  横:約45.0cm

糸 : 刺し子用糸
        緑色・2色  黄色  紫色
     刺しゅう糸
        紫色  黄色

模様 : 十字刺し ( じゅうじさし )
        後は ただ チクチクしただけ


初めは 籠に活けた花を と 思っていたのですが
ランチョンマットだと 刺す面積が小さくて 難しく 
花束風 と なりました

20221014 出来上り 2 紫の花束


花の上にある葉は 茎にして 小さな黄色の花を散らしました
黄色の小花は 米刺し にと 思ったのですが
小さいので 1刺し 手抜きをしました

20221014 出来上り 4 紫の花束


大きな花の輪郭は 紫と桃色 を重ねて刺しました
花芯は 2種類の黄色を 使いました

20221014 出来上り 5 紫の花束


黄色の花の花芯は 逆に紫色 に しました

20221014 出来上り 6 紫の花束


小さな紫の花は 蕾のツモリ 

20221014 出来上り 3 紫の花束


纏まりを考えて 色数を少なくしてみました

刺し終えた模様をみると 
刺し子模様が 無い事に気がつきました

チクチクしただけの模様では 
今回の様に 小さければ 未だしも
大きな模様になれば 物足りなくなる と思いました

同じようになりそうですが 2枚目に 取り掛かります


小石川後楽園 その三 


小石川後楽園を訪ねて の 続きです

階段を上ると 唐門の裏側に出ました

20220930 東門まで 23 小石川後楽園


ここは 内庭・うちにわ です

20220930 東門まで 31 小石川後楽園


内庭にも 池があり 
丁度 白い蓮が 一面に咲いていました

20220930 東門まで 24 小石川後楽園

20220930 東門まで 25 小石川後楽園

20220930 東門まで 26 小石川後楽園


芝生には 後姿ですが 亀さんがいました 
池の主かしら? 

20220930 東門まで 27 小石川後楽園


池の横に 唐門・からもん があります
      小石川後楽園HPから
   後楽園への正式な入口門で、後楽園の観賞動線の起点となる門。
   私的空間である内庭と、後楽園を隔てる役割を果たしていた。
   戦火により焼失したが、2020年末に復元が完了した。

20220930 東門まで 28 小石川後楽園

20220930 東門まで 29 小石川後楽園


緑の中 池に浮かぶような 唐門

20220930 東門まで 30 小石川後楽園


静かなお庭とも お別れです
都会に 緑と静けさのある庭園がある事が 不思議なくらいです

20220930 東門まで 32 小石川後楽園

20220930 東門まで 33 小石川後楽園


東門から 出ました

20220930 東門まで 34 小石川後楽園


門の左手に 小石川後楽園に沿った小道が ありました
右側が 小石川後楽園の塀になります

20220930 東門まで 35 小石川後楽園


この道を 後楽緑地 と言って 
文京区と近隣ビルの会社が 2001年3月に整備した緑道だそうです
まだ 紫陽花の花が 綺麗でした

20220930 東門まで 36 小石川後楽園


後を振り返りました

20220930 東門まで 37 小石川後楽園


左手に 小石川後楽園展示室が ありました

20220930 東門まで 38 小石川後楽園


水戸家の系図 庭園の歴史・地図・遺構などが 展示されています

20220930 東門まで 40 小石川後楽園


水戸藩徳川家小石川屋敷跡 出土の石製品

20220930 東門まで 39 小石川後楽園


次の写真は見ずらいのですが 小石川後楽園の風景 です 
白黒とカラー写真とは 同じ場所の様で
昔と今の写真で 比較しています

20220930 東門まで 41 小石川後楽園

20220930 東門まで 42 小石川後楽園


展示室の先にある 階段の上に 屋上庭園の案内がありましたが
コロナで入場禁止 になっていました
高い所から 庭園の中を見る事ができるのでは ないかしら?
今度 機会があれば 上ってみたいと思います

20220930 東門まで 43 小石川後楽園


下を見ると 道案内の標識が 埋め込まれています  

20220930 東門まで 45 小石川後楽園


両側の緑が 眼にも心にも 沁み込みます

20220930 東門まで 46 小石川後楽園


出口 入口?
東門の近くまで 戻ってきました

20220930 東門まで 47 小石川後楽園


一休みに 近くにある 日中友好会館で お茶を頂きました

このポットの蓋 
ユーモラスな 蛙さんが陣取っています

20220930 東門まで 48 小石川後楽園


お茶 と くるみパイ
美味しく頂きました

20220930 東門まで 49 小石川後楽園


今回は 焦らずに 庭園をみる事ができました

一年を通じて お花を楽しむ事ができます
多分 彼岸花が咲き終わり 萩が咲いている頃でしょうか
これからは 紅葉が綺麗なのでしょうね

庭園を巡ると 日本の他の地を訪れた様に 思えます
そして その土地の歴史や建築物などの 知識があれば 
もっと深く楽しむ事が出来ると 痛感しました

広い日本庭園を 維持していくのは
技術的な管理 経費も 大変な事だと思いますが
後の世に 伝えていきたいものです


小石川後楽園 その二


小石川後楽園を訪ねて の 続きです

今回は 今回は この庭園で 使われ表現した?場所を 
書いてみたいと思います

前回では 
   ⇒ 大泉水・だいせんすい : 琵琶湖 を表現した景色
   ⇒ 一つ松 : 近江大津 の一つ松を移した
と 二カ所ありました

花菖蒲を後にして 横道へ入ると

20220930 東門まで 1 小石川後楽園


円月橋・えんげつきょう へと 続きます

ウィキペディア と 立札から 抜粋省略
    明の朱舜水が設計と指導で駒橋嘉兵衛が造ったとされる
    中国式様式の石橋
    橋が水面に映る形が満月になることからその名がついたという
    当時の高度な技術が用いられており、後に8代将軍徳川吉宗が
    同じような橋を創ろうとしたが果たせなかったいわれている
    石造アーチ橋としては国内最古の一つ

20220930 東門まで 5 小石川後楽園

20220930 東門まで 4 小石川後楽園


橋は大きくありませんが 綺麗な円を見る事ができました

花菖蒲の方へ戻ると 
神田上水跡の向こうに 花菖蒲を見る事ができました
    ⇒ 神田上水跡 : 東京・江戸

20220930 東門まで 6 小石川後楽園


大泉水の反対側に 愛宕坂・あたござか が あります
   京都愛宕山の坂にならって造られたもの
   47段の石段からなっている
   傾斜の急な方は 男坂 ゆるい方を女坂

20220930 東門まで 33 小石川後楽園

20220930 東門まで 8 小石川後楽園

     ⇒ 愛宕山 : 京都

花菖蒲の傍には カキツバタが あるのですが
花は咲き終わったようです

20220930 東門まで 9 小石川後楽園


近くには 
水戸偕楽園里帰りの梅 
    ⇒ 水戸偕楽園 : 茨木

20220930 東門まで 10 小石川後楽園


木々の間を歩いていると
葉っぱが光って見えているのかと思い 近寄ると
綺麗な 白い蝶々? 蛾? の様です
羽が 緑に透けている様に見えます

20220930 東門まで 11 小石川後楽園

20220930 東門まで 12 小石川後楽園


松原の近くにある 
ここには 不老水・ふろうみず の 井戸
   いかなる干ばつにも水が枯れず、またいかなる洪水にも
   あふれ出すことがなかったことから、不老水と呼ばれる

20220930 東門まで 30 小石川後楽園


覗き込んでみましたが 水はハッキリとわかりませんでした

20220930 東門まで 15 小石川後楽園


花菖蒲の手前に 稲田・いなだ が あります
       小石川後楽園HPから
   光圀が、農民の苦労や農業の尊さを彼の嗣子綱条の夫人に
   教えるために作ったとされる。
   毎年文京区内の小学生による田植えと稲刈りが行われている

20220930 東門まで 31 小石川後楽園


松原の左手 大泉水と反対側に 九八屋・くはるや
   江戸時代の風流な酒亭の様子を 再現した建物
   「酒を飲むに昼は九分夜は八分にすべし」と、酒飲みならず、
   万事控え目をよしとする教訓から名付けられる

20220930 東門まで 17 小石川後楽園

20220930 東門まで 32 小石川後楽園


こちら側から 大泉水・だいせんすい を 見ると
中の島・蓬莱島は 亀 に 見えました

20220930 東門まで 18 小石川後楽園


今まで見た事のある 石灯籠と違い
この石灯籠 四角のカタチをしています

20220930 東門まで 19 小石川後楽園


瘞鷂碑・えいようひ 
   水戸藩ゆかりの庭園・小石川後楽園にある
   鷹の追悼記念碑

20220930 東門まで 21 小石川後楽園


緑の中を歩いていると 階段がみえます
少し疲れたので 上まで行くか迷っていたのですが
唐門の後ろ側とが 見えました

20220930 東門まで 22 小石川後楽園


階段を上り切ると 
素敵な景色が待っていました

長々となりましたが もう一回 続きます


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