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笑子(しょうこ)

Author:笑子(しょうこ)
笑子(しょうこ)
笑って毎日を過ごしたいと、気持ちを込めた名前です。
楽しみにと手仕事を始めました。
刺し子、刺繍とも、独学なので分からない事だらけ。
知識がない分、易しいステッチ(運針?)を中心に
デザインを楽しんでいます。


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雑司ヶ谷・七福神巡り その二


前回の 七福神巡り の続きです

今回は 護国寺に近い所にある
<吉祥天(寿老人の代替)清土鬼子母神堂> から 行きました

20200727 0722 吉祥天 1   雑司ヶ谷七福神


不忍通りを 護国寺方面へ 歩きます
奥に見える高速道路の下を右に行くと 直ぐに護国寺ですが
赤い旗が見えない
この辺りのハズだけれど・・・

20200727 吉祥天 2   雑司ヶ谷七福神


左手に細い道があり 突き当りに見えるのは
何となく 雰囲気が お寺さん??

20200727 吉祥天 3   雑司ヶ谷七福神


雑司ヶ谷七福神の赤い旗 がありました

20200727 吉祥天 4   雑司ヶ谷七福神


門を入ると 本堂

20200727 吉祥天 5   雑司ヶ谷七福神


文京区保護樹木の イチョウ ケヤキ エノキ マツなど
何本かあり 木に囲まれている空間です

大きな木と吉祥天の横に 建物?があります 
これは 井戸だそうです

20200727 吉祥天 7   雑司ヶ谷七福神


その前に 清土鬼子母神堂について
   前回 大黒天で紹介した 鬼子母神堂に祀られている
   鬼子母神像が 掘り出された旧跡だとされているそうです
   別名を お穴鬼子母神 と言うそうです

その鬼子母神像を清めた井戸だそうです

後から 清土鬼子母神の別名が お穴鬼子母神 という事を
知りました 
秋のお会式の時に 出発地の一つとして 聞いた事がありました

さて 吉祥天さん 優しいお顔です

20200727 吉祥天 6   雑司ヶ谷七福神


吉祥天・きっしょうてん
   雑司ヶ谷鬼子母神像は清土のこの地から出土され
   「清土鬼子母神」と呼ばれてきます。
   その鬼子母神を母に持つ吉祥天は仏教では毘沙門天の妃
   ともいわれ、福徳安楽を与え、仏法を護持する天女でもあり、
   左絵には如意宝珠をささげもっています。
   招福開運・相好円満

もう お一人? 小さな石仏がありました

20200727 吉祥天 8   雑司ヶ谷七福神

20200727 吉祥天 9   雑司ヶ谷七福神


何も書かれていないので お名前はわかりません
庶民的な お顔も佇まいも 素朴な感じがします

さて 次に 西へ向かいます

地図を見ると 菊池寛の住居跡 があり 寄ってみました
マンションの前に 案内のプレートだけとなっていました

20200727 鶴巻通り 1   雑司ヶ谷七福神

20200727 鶴巻通り 2   雑司ヶ谷七福神


先を行くと 雑司ヶ谷・寛が ありました
小説家として活躍した 三角寛が執筆に励んだ当時を 残したお部屋で 
会席料理の料亭です
残念ながら まだ 頂いた事はありません

20200727 鶴巻通り 3   雑司ヶ谷七福神


先を進むと 弦巻通りへ 入りました

20200727 鶴巻通り 4   雑司ヶ谷七福神


歩いていると 矢印の下にある文字が 目に入ってしまいました
何と さくらせんべい:50円!!
    大手メーカーの商品がキャンセルになり、大量の 
    さくらせんべい の 生地が発生してしまいました。
    焼きたての、さくら煎餅を赤字覚悟で販売いたします。

20200727 鶴巻通り 6   雑司ヶ谷七福神


ここにも コロナの影響があるのですね
これは 買って帰らなければ・・・

20200727 鶴巻通り 10   雑司ヶ谷七福神


中では お煎餅を焼いている所を 直接見ることが出来ます

20200727 鶴巻通り 5   雑司ヶ谷七福神

20200727 鶴巻通り 7   雑司ヶ谷七福神


そして もう一軒 赤丸ベーカリーに寄ります
好きな葡萄パンは 午後からと言うことで諦め 違うパンにしました

20200727 鶴巻通り 8   雑司ヶ谷七福神


雑二ストアーの横にある 旅猫雑貨店は 閉まっています
猫ちゃんの雑貨を 見たかったのですが 残念です

20200727 鶴巻通り 9   雑司ヶ谷七福神


肝心な 七福神の続きです

<毘沙門天 清立院>
ここは 昨年のお正月に 訪ねた事がありますが
七福神の紹介を 殆ど省いてあるので 改めて行きました

ここは 赤い旗と 毘沙門天の提灯があって
直ぐに分かりました

20200727 毘沙門天 1   雑司ヶ谷七福神


階段を上り

20200727 毘沙門天 10   雑司ヶ谷七福神

20200727 毘沙門天 2   雑司ヶ谷七福神


こちらに お出でです

20200727 毘沙門天 3   雑司ヶ谷七福神


光ってしまい お姿が良く見えませんが

20200727 毘沙門天 4   雑司ヶ谷七福神


毘沙門天・びしゃもんてん
   約770年前から皮膚病・雨乞いの祈願寺として崇高されてきました。
   甲冑をつけ槍を持った姿は昔から武将たちに愛されたインドの
   戦勝の神様ですが、左手の宝塔は人々への福徳を与える優しさを
   持ち合わせています。 また、豊島区指定文化財でもあります。
   心願成就・降魔厄除

20200727 毘沙門天 5   雑司ヶ谷七福神


足元を見ると 鬼 と その前に 七福神でしょうか?

20200727 毘沙門天 6   雑司ヶ谷七福神


境内の端に 2本の松
「雨乞いの松」 と立て札に書いてあります
今なら 雨止め して欲しいのですが・・・

20200727 毘沙門天 7   雑司ヶ谷七福神


お寺の横を少し行くと 雑司ヶ谷霊園になります
この季節は 緑が目に沁みます
次の機会に訪れたいです

20200727 毘沙門天 8   雑司ヶ谷七福神


七福神巡り と言う割には 寄り道が多くて 予定は進みません
まだ 二つ 残っています

恵比寿神・えびすしん は ここから近い所に いらっしゃるのです

華の福禄壽・はなのふくろくじゅ は 別の日に 漸く探し当てました

長くなるので 次回へ 続きます



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雑司ヶ谷・七福神巡り その一


少し前になりますが 5月中旬から下旬にかけての事
前から 巡ってみたいと思っていた
雑司ヶ谷 ・七福神巡り を ヤット実行できました

少し長くなりますが お付き合い頂ければ嬉しいです

またまた パンフレットを大事に持っていました
表紙の一部ですが 都電に乗った 楽しいそうな七福神

20200722 鬼子母神  1   雑司ヶ谷七福神


7カ所と言っても 半日もあれば 巡る事が出来るそうです
目的地だけでなくその周囲も キョロキョロ・ウロウロしたい
と 何回かに分けていく事にしました

地図でみると 
左上が池袋 で 右側端の真ん中が護国寺 になります
小さいですが 赤い丸と四角が 場所になります

20200722 鬼子母神  8   雑司ヶ谷七福神


何時も訪れる所からと 
雑司ヶ谷・鬼子母神から 行く事にしました

<大黒天 鬼子母神堂 >

参道から 入ります

20200722 鬼子母神  2   雑司ヶ谷七福神


奥に本殿がみえます

20200722 鬼子母神  3   雑司ヶ谷七福神


本殿の手前 右側に 「大黒天」の旗がたっています

20200722 鬼子母神  4   雑司ヶ谷七福神


この中に いらっしゃいます

20200722 鬼子母神  6   雑司ヶ谷七福神


どの様な神さまか 案内板がありました
<大黒天>
     鬼子母神の夫で インドから伝来しました
     大黒天の持つ小槌の「ツチ」は 大地の「ツチ」に通じ
     物はすべて大地より生み出される。
     つまり「宝」を打ち出すという豊作の神でもあり、
     日本の出雲の大国主命の「大国様」と合わされ
     親しまれています。
     五穀豊穣・子孫繫栄

目が大きくて ドッシリとしていらっしゃいました

20200722 鬼子母神  7   雑司ヶ谷七福神


大黒天の所から 鬼子母神の本殿を見ると 
この様な位置になります

20200722 鬼子母神  5   雑司ヶ谷七福神


さて 次は 歩いて近くにある 法明寺へ 向かいます 

<弁財天 観静院> 

法明寺の境内へ入り 右側の塀に沿って行くと 
観静院・かんじょういん が ありました

20200722 観静院  1   雑司ヶ谷七福神


何となく入りにくいのですが 表札?には 間違いなく
観静院とあるので 門を入ります

20200722 観静院  2   雑司ヶ谷七福神


左手に 弁財天の旗がありました

20200722 観静院  3   雑司ヶ谷七福神


左の案内板には
<弁財天>
     元々はインドの女神サラスヴァーティーで河の神・水の神です。
     昔々の漢字表記は本来「弁才天」ですが、財宝神としての
     願いも加えられた「弁財天」と使い分けされ、琵琶を奏でる
     美しい微笑みに包まれ、歌を口ずさみたくなる芸術の女神です。
     福徳施与・学徳成就

美しく優しく 微笑んでいらっしゃいました

20200722 観静院  4   雑司ヶ谷七福神


その奥に 斜めになってしまいましたが
こちらも優しく微笑んでいます
ネットでも調べたのですが 詳しい事は分かりません

20200722 観静院  5   雑司ヶ谷七福神


観静院を出て 法明寺の山門の前へ
緑が陽に輝いています

20200722 観静院  6   雑司ヶ谷七福神


折角来たのだから と 中へ入り 緑を楽しみました
本殿を挟んで 鐘楼 と 寺務所 の前

20200722 観静院  7   雑司ヶ谷七福神

20200722 観静院  8   雑司ヶ谷七福神


法明寺の横を通り 池袋方面へ 歩きます

<布袋尊 中野ビル>   

東通り・あずまどおり に出ると 直ぐに分かりました
この通りで見かけたことが 何度もあるのです

20200722 中野ビル  1   雑司ヶ谷七福神


本当に ビルの一角にあるのです 
何故なのでしょうか

20200722 中野ビル  2   雑司ヶ谷七福神


<布袋尊>
     中野ビル七代目に護持されている布袋尊。
     唐の末期に実在したと言われる仏教の禅僧でもあり、
     弥勒菩薩の化身とも言われています。
     満面微笑みと大きなお腹、大層な宝物が入っているような
     布の袋は複々しさを感じさせてくれます。
     千客万来・金運隆盛

20200722 中野ビル  3   雑司ヶ谷七福神
 

横にいらっしゃるのは 何方かしら?

ネットで検索して 何人かの方のブログの記事から 
纏めさせて頂きました
      大正6年・1917年 に 建立された 親子の布袋さん 
      向かって左側の布袋尊像の右肩は、修復されていますが
      東京大空襲・昭和20年・1945年3月 と
      城北大空襲・昭和20年4月 の 2度の空襲で
      破損したものだとのこと

20200722 中野ビル  4   雑司ヶ谷七福神


ここから そう遠くはない所に 
福禄寿 ・ 仙行寺が あるはずなのだけれど・・・
赤い 丸と長方形の 一番上です

20200722 鬼子母神  9   雑司ヶ谷七福神


雑司ヶ谷七福神の赤い旗を目印に 探したのですが
何故か見つからないので 諦め 次の機会にとしました

何時も訪ねたり 通っている所ばかりなのですが 
     鬼子母神では 七福神巡りをする時に と
     法明寺・観静院は 知りませんでした
     中野ビルでは 通り過ぎてはいたけれど

今まで 後から 何時かは・・・と 殆ど 通り過ぎておりました

何度も訪れ 馴染みのある場所ですが
雑司ヶ谷の歴史も含め 新鮮な新たな気持ちで
神さま方に お会いする事ができました

残りの 4カ所は 次回へ続きます


刺し子刺しゅう  花芯が大きすぎて・・・   


今回は 晒の布巾に 刺し子刺しゅう しました

初めに 輪郭を 刺します

20200717 途中  1   大きな花芯


次に 黄色の花芯の部分 を 埋めます

20200717 途中  2   大きな花芯


桃色の花弁に 花脈・かみゃく を いれてみました

20200717 途中  3   大きな花芯


花弁と花芯の間にも 模様を入れて

出来上がり です

20200717 出来上がり  1   大きな花芯


布 : 晒 木綿  

糸 : 刺し子用糸
        桃色・2種類  黄色・2種類

出来上がり寸法
      横 : 約 33、0cm
      縦 : 約 32、5cm

模様 : 斜め十字刺し刺し( ななめじゅうじさし )
         後は ただ チクチクしただけ

下から 写して 
花弁の模様は 葉脈の様になりました

20200717 出来上がり  2   大きな花芯


逆さにして 黄色の花芯をみます
多分 模様の名前は無いのでは? と思いますが
「 小 」の字の様に 一つを3針で 刺して」います

後から見ても 花芯が 大き過ぎました

20200717 出来上がり  3   大きな花芯


模様の真ん中は 斜めの十字刺し です

20200717 出来上がり  4   大きな花芯


布巾に刺す模様は 晒を二枚に重ねた 白い四角に
花弁1枚を 刺す事が多かった様に 思います

糸が余り「蜜」になり過ぎると 
   食器を拭く際に ゴワゴワ
   干すときも 乾きにくい
と 思い 簡単な模様にしています

20200717 出来上がり  5   大きな花芯


でも 最近は 難しく感じるようになりました

同じ模様にならない様に と 思っていますが
   今までの 写真を確認する訳でもなく
   アタマの中の引き出しに 確認しているだけ
なので 余り 当てにならないからです

まあ 目くじら立てる事でもないし・・・



佐伯祐三 アトリエ記念館


区や民間が運営している 小さな美術館に 
行ってみたいと思っていました

その一つが 佐伯祐三・さえきゆうぞう のアトリエ記念館
このパンフレットは 数年前から 保管していたもの

20200712 アトリエまで 10  佐伯祐三

20200712 アトリエまで 11  佐伯祐三


漸く 解禁? となったので 行く事にしました

目白通りから 聖母坂通り へ 入ります

20200712 アトリエまで 2  佐伯祐三


通りの上に 案内矢印が出ているので大丈夫

20200712 アトリエまで 3  佐伯祐三


と 思ったけれど 
こんな住宅街の中に??と 不安になります

20200712 アトリエまで 4  佐伯祐三


路地を行くと パンフレットで見た 家では?

20200712 アトリエまで 5  佐伯祐三


ウロウロして 漸く 着きました 
      本当は近いのだけれど・・・

20200712 アトリエまで 6  佐伯祐三

20200712 アトリエまで 7  佐伯祐三

20200712 アトリエまで 8  佐伯祐三


中は 木々が繁っています
左手奥に見えるのが 管理室
管理の方が出てきて 見学なら と
検温と 用紙:連絡先・名前住所など を手渡されました

20200712 アトリエまで 9  佐伯祐三


記念館の案内図が ありました

20200712 記念館  1  佐伯祐三


右側にある数段の階段を上ると ご本人の お出迎え

20200712 記念館  2  佐伯祐三

20200712 記念館  3  佐伯祐三


部屋は広くありませんが 天井が高く 空間が広く感じます
壁には 年表と 描いた絵の写真など

20200712 記念館  4  佐伯祐三

20200712 記念館  5  佐伯祐三

20200712 記念館  6  佐伯祐三

20200712 記念館  7  佐伯祐三

20200712 記念館  10  佐伯祐三


佐伯祐三は 夭折の天才画家と言われましたが 30歳で亡くなり 
作品が少なく 数点の絵を本などで 数点しか知りません

自画像 と 写真
そして デスマスク

20200712 記念館  8  佐伯祐三

20200712 記念館  9  佐伯祐三


入り口の近くには 絵画や短い人生を 解説したビデオ

20200712 記念館  11  佐伯祐三


お子さんを亡くした事 
洋画家の奥様がいらっしゃった事は 知りませんでした

次は お隣の小部屋へ 行きます

20200712 記念館  12  佐伯祐三

20200712 記念館  13  佐伯祐三

20200712 記念館  14  佐伯祐三


奥さん・佐伯米子の絵 「 エリカ 」 が ありました

20200712 記念館  15  佐伯祐三


この旧居と復元の図が 飾られています

20200712 記念館  16  佐伯祐三

20200712 記念館  17  佐伯祐三


ここでも VTRを ゆっくりと 一人で見る事ができました

今のこの辺りは 住宅が建て込んでいますが
大正末から昭和初期の 新宿・下落合の自然に溢れる 
絵や写真に 驚きました

平日のお昼前で 見学者は他に一人と すれ違っただけでした
お陰で 気を遣わずに VTRを見たり 
余り広いとは言えない空間ですが 外のベンチで 
ユッタリとした時間を 過ごすことが出来ました

小さな記念館でしたが 
作品を見る事に 期待するのではなく
生きてきた その人の周り を 感じる事が
少しできた様に思います


高田馬場・玄国寺


諏訪神社を出て 高田馬場駅方面へ 向かいます

今まで 余り通る事がなかった道を 行く事にしました
右手に 竹で組んだ塀に囲まれた 墓地がありました

20200706 本堂まで 10  玄国寺


あら お寺さんが近くにある様です
東京製菓学校の横を通り 今来た道を戻ります 

20200706 本堂まで 3  玄国寺


蔦に隠れていますが ありました
豊島八十八カ所 第七十二番札所 玄国寺 と書いてあります

20200706 本堂まで 4  玄国寺


先の左手にある小道の奥に お寺がありました

20200706 本堂まで 5  玄国寺

20200706 本堂まで 6  玄国寺


門を潜ると 本殿が正面に

20200706 本堂まで 8  玄国寺


門の左手には 石の碑 
   客殿と鐘楼の新築の碑 と 
   玄国寺の 案内と歴史 が刻んでありました
左の 二つの石には
   敷石・・  と ・・敷石紀念・・ とが 刻まれ
左の石には 明治39年 玄国寺世話人 と 見る事ができました

20200706 本堂まで 9  玄国寺


本殿の階段の右下には 石が置かれています
水晶との説明はありますが なぜ置いてあるのでしょう?

20200706 お庭  4  玄国寺


じーっと見られている様な気がして 右手を見ると
石灯籠の前にいる 蛙さんの視線でした 

20200706 お庭  5  玄国寺


本堂の階段下 左手には 鐘楼が ありました

20200706 お庭  6  玄国寺


左奥のお庭を みていたところで 
ご住職さんと 少しだけお話ができたのですが
この鐘楼 前は本殿に並んだ にあって 今の所へ移したそうです

本殿に上がってみます 
この手前に その跡が あるそうです

20200706 お庭  8  玄国寺

20200706 お庭  7  玄国寺


下へ降り 本堂から見て 右手にある鐘楼の先には 
弁財天のお堂 があります

写真 お堂の手前にあるのは 句碑でした
    雀にも 好きな枝あり 夏木立
作者を探したけれど わかりませんでした 

20200706 お庭  11  玄国寺


弁財天さんは 小さなお姿でした

20200706 お庭  10  玄国寺


門の外へ出て 左手へ行くと 石碑 と お地蔵様
石には 
     記念碑 山門 弁天堂 鐘楼堂
     平成21年11月 とあり 
この時に建て替えられたのでしょうか

20200706 お地蔵さん 1  玄国寺


その左側に お地蔵様達

20200706 お地蔵さん 2  玄国寺


何処かで お会いしたことがある様な 親しみが湧く お顔です
誰かさんの顔 を思い浮かべてしまいした

20200706 お地蔵さん 3  玄国寺


足元にも 可愛らしい お地蔵さん達

20200706 お地蔵さん 4  玄国寺

20200706 お地蔵さん 5  玄国寺


その横にも 

20200706 お地蔵さん 6  玄国寺


庚申塚にあったものかしら?

20200706 お地蔵さん 7  玄国寺


奥に見える左手から 門をみます

20200706 お地蔵さん 8  玄国寺


門の屋根瓦を見ようかと 門の方へ
まあ カメラを向けて 近寄っても 驚きもせず
のんびりとしている 鳩さん達

20200706 お地蔵さん 9  玄国寺


肝心の瓦の写真は 良く撮る事が出来ませんでした

広いとは言えない境内ですが 弁天様 お地蔵さんも
お庭の様子も 落ち着く気配 雰囲気が漂っていました

帰りに墓地の前を通ると
最初にみた お寺さんの案内
    田植地蔵尊 ・ 土屋地蔵尊
    光心地蔵尊
    宮瀬龍門碑
    水子地蔵尊
    百度石 ・ お砂踏

20200706 本堂まで 1  玄国寺


お地蔵様のお名前が 分からなかった事に気が付きました
スッカリと頭の中から 消えておりました
次に 訪ねる時には 覚えていると良いのですが
     当てにならないとは 思うけれど・・・

この所 神社仏閣を訪ねる事が 多くなっています
お寺さんや神社は 空間が広く 人も多くありません

東京・江戸は 神社仏閣が多い街だと 聞いた事があります
この際 なるべく歩いて行ける所を中心に 
訪ね歩いてみるのも良いかしら? と思っています


新宿・諏訪神社で 夏越の大祓


新宿区にある 諏訪神社へ 行きました
前には行ったのは 8月末の例大祭の時で 
それから 3年ほど経ってしまいました

この神社の近くに 戸山公園の大久保地区があるのですが
ナカナカ 行く事がありませんでした

明治通りから 諏訪通り を行くと 
右手に 石の鳥居があります

20200701 本殿まで  1 諏訪神社


中へ入ると あら 茅の輪があります
そう 夏越の大祓・なごしのおおはらえ の時期でした

20200701 本殿まで  6 諏訪神社


今年前半 無事に過ごせたことに感謝しながら 
後半も元気に過ごせるよう 茅の輪を潜りました

20200701 本殿まで  3 諏訪神社


茅の輪の正面に見える本殿へ

20200701 本殿まで  4 諏訪神社

20200701 本殿まで  5 諏訪神社


本殿を背にして 茅の輪の方を見ると
右手に 大きな木が茂っています

20200701 手水まで  1 諏訪神社


木の方へ行くと 奥には お稲荷さんの旗があります
そして 大きな木の手前に 庚申塚・こうしんづか が ありました

20200701 手水まで  2 諏訪神社


木を挟んだ反対側

20200701 手水まで  3 諏訪神社


こちらは 御嶽神社・みたけじんじゃ

20200701 手水まで  4 諏訪神社


茅の輪がある鳥居を出て 改めて鳥居をみると
両脇には 狛犬さんがいます

20200701 手水まで  7 諏訪神社


「 あ 」 何となく 笑っている様に見えるのですが

20200701 手水まで  5 諏訪神社


「 うん 」 こちらは 怖いお顔をしている様に 見えてしまいました

20200701 手水まで  6 諏訪神社


左手を 何気なくみてみると 横にある石
ただの石ではない様に みえます
両端を見ると 少し反っていて 人が手を加えた物と思います
説明した案内は 見つかりませんでしたが
何かの土台の様なもの だったのかしら?

20200701 手水まで  8 諏訪神社


境内では 茅の輪を潜る 何人かの人達に出会いました
   小さな子供を連れた親子 
   会社員風の男性 
   ご近所に住んでいるかと思う女性
   散歩の途中かと思われる人  など
地元の方々に 親しまれている事がわかります

20200701 本殿まで  2 諏訪神社


最後に また ご挨拶して 神社を後にしました

夏越しの大祓は 1年の真ん中 6月30日に行われ
無病息災 延命長寿を祈願するお祭り との事

6月・水無月の 「茅の輪」 をくぐる事で 
更に穢れを祓い 無病息災を願うのだそうです

20200701 手水まで  10 諏訪神社


ここを訪ねたのは 6月中旬過ぎ
この神社では 早目に 茅の輪が出来ていた様です

本殿にあった 生命の言葉 を頂いてきました
    水無月の 夏越の祓する人は
    千年のいのち 延ぶといふなり

20200701 手水まで  9 諏訪神社


千年とは 願っても無理な事ですが
この半年 どうにか無事に過ごす事ができた事を 感謝しました

そして 新型コロナが 早く終息する事 を
健康で 通常の生活に戻る事が出来ます様に と願いました
 

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