浦和在住の ボランティアガイドの方の案内で
埼玉県の浦和を散歩した 後編です
前・後半の2回で纏められるかと思っていたのですが
読みが甘かった!!
長くなりますが お付き合い頂けると嬉しいです
次の目的地は 白幡沼です
その途中 沼の傍らに 庚申塚
江戸時代になると 庚申塔から庚申塚 に代わって来たようです
左上には 「 宝永 」 の文字
下の方は お猿さん 「 みざる いわざる きかざる 」
その下には ひらがなで 「 かめ 」 等 名前が刻まれています

白幡沼が 木々の間から見えてきました

沼の中央辺り 姿勢良く首を真っすぐにして 鷺でしょうか
足元には 亀さん

白幡沼の正面?
沼の向こう高台に見えるのは 埼玉県立浦和商業高等学校
沼には 葦が生え 春には 睡蓮の花が咲くそうです
驚いた事に この白幡沼は 区や市では無く 個人所有のものだとか
昔のお話ですが・・・
浦和は 鰻が有名ですが 江戸時代には この沼でも鰻が捕れたそうです

次に向かうのは 真言宗・真福寺
ここに 逆さイチョウがある と説明されても 何の事やら??
お寺の門の向かいに 大きな銀杏の木がありました

近づくと 枝は支えられていますが 大きな銀杏の木です
この銀杏は さいたま市指定自然記念物
指定時の時 昭和33年に
高さ 18.5m
幹回り 5,85m
の大きさだったそうです

大きな幹を 一回り
上を見ると 幹には 年月が刻まれている様に思えます
この木の説明には 逆さイチョウの伝説 の事も書かれています
昔々 台地の下が海だった頃
船をつなぐ杭として
イチョウの木工を 逆さに打ち込んでおいたところ
その杭が根付き 枝葉をだしたと言われます
成程 名前の由来と 埼玉が海だった事が ここでも分かりました

イチョウの木の下に 小さな小屋があります
六地蔵尊が いらっしゃいました

次に向かう 別所沼公園まで 住宅街を通りますが
何とアップダウン 坂が多いのです
これは 昔 水が流れていた名残だそう


それから 花と緑の散歩道 を歩きます
道の両側には桜並木 春は綺麗でしょうね

別所沼公園が見えてきました
沼の周りには メタセコイアが植えられています

沼に沿う道の横には ヒアシンスハウス と
名付けられた建物があります
これは 詩人の 立原道造にゆかりがある建物 でした

亡くなる前に 夢の家 秘密基地の様な部屋の構想を持っていたのを
地元の建築家と文芸家の有志で 実現させたものでした



通常は 水・土日祝日しか 建物の中を公開していないのですが
ヒアシンスハウス代表で 小説家の北原立木さんのご厚意で
閉館日に 特別に開けて見学をさせて頂き お話を伺う事が出来ました
窓から 別所沼公園を見ると 沼の水と緑が綺麗で 気持ちが良い!!

建物の裏に回り 外から窓を写すと 部屋の中
その奥に大きな窓の先の外が見え この建物が小さい事が分ります
夢の夢ですが
本当に 可愛らしい建物に この様な一人の空間を
綺麗な景色の中で 持つことが出来たら・・・

ランチをとった後 別所沼公園を巡りました
立原道造の友人 詩人・神保光太郎の碑
当時 この別所沼周辺には 様々な芸術家が活動していた様です

次は 突如 日本の物とは思えない石組 が現れました
まず写真を見て下さい

メキシコから 友好の印として送られたもので
名前は エへーカトル・ケッツアルコアトル( 風の神 )
メキシコで発掘された石像の複製品です

長くなりすぎるので 詳しいことを省きますが
これは リュウゼツラン
花は50年に一度と言われ 2003年に開花したそうです
歳を考えると 次に花が咲くのを見る事は 出来そうもありません

他にも 長谷川かな女 の 句碑

この像は コンクリートで 出来ているそうです

家へ帰り 立原道造が建築家でもあった と話をした所
家人が 本棚から取り出してきたものがありました
茶色に変色していますが 復刻版ですが 「 四季 」 で
学生時代に 手に入れたとの事
数年前 本を整理した時にも 手放す事無く持っていた本です

その中に 立原道造の追悼号もありました

目次を見ると 名前を知っている作家が 追悼文を寄せています


ヒアシンスハウスを訪ねた時に 朝日新聞の記者が来ていて
ご一緒した 森下先生が 取材を受けました
11月中旬 埼玉版の記事になりました

ガイド役として 色々な手配と
浦和の地理・歴史などを 詳しく説明して下さった
Fさんに 感謝です