2月の初めに 文楽三味線 「 文楽のお話 」 へ
行った事は 前にアップしましたが
その場所へ 行く前に 寄り道をしました
幼い頃 バイクと衝突した場所 を見に行きました
駅前にあった 街の地図

南北線 白金高輪駅から
魚籃坂 ( ぎょらんざか ) を上り

魚籃寺 の前を通ります
珍しい名前なので 忘れていません 懐かしい


暫く 歩いて ありました
ここは 三叉路になっています

上の写真を 逆からみて
この道で 右から来るバイクに 衝突?接触 したのです

悪いのはバイクでは ありません
3・4歳位の頃 だと思います
この道路を 友達数人と 誰が早く渡れるか と
走り渡る競争 をしていたのです
左右を見て道を渡る など 全く無視して遊んでいました
トラックでなくて 幸いだったのでしょう
何の後遺症もありません
もしかしたら 頭を打ったかも と思う時がありますが・・・
覚えているのは
母の背中に オンブされて 近くのお医者様に通った事
バイクを運転していた若い男性が お見舞いに来て
良かったと ニコニコしていた事 だけ
その頃から ノウテンキ だったのかもしれません
写真の右にみえる 石の壁
壁には 大きな木の両扉が ついていました
今は 三田台公園・みただいこうえん となっています
伊皿子 (いさらご ) 貝塚遺跡の発掘調査 で
発見された住居跡と 貝層の断面が復元展示されていました
こんな所に 貝塚があった事に 驚きました
開園が 1978年と言うのですから
知る事も無かったのでしょうか?
貝層断面が 展示されていました

公園内は 梅が満開でした

この公園の真向いの 路地を入ると 兄弟が通っていた
御田( みた ) 小学校があります
住んでいたのは6歳までなので 通学してはいませんが
校庭で遊んだ記憶はあります
バイクの接触で 頭を打ったのかもしれませんが・・・

近くにある 幽霊坂

そして 亀塚 ( かめづか ) 公園
よく遊びに行きました

謎の盛り土( 亀塚 ) があります
古墳である可能性が 高いそう??
記憶の中の山は もっと大きいと 思っていましたが・・

通りを挟んだ道からみると 公園の隣に
小さな交番がありました
後で調べたら 交番は公園の敷地内にあるのだそうです

住んでいた家は もう有りませんが
庭の塀を登ると 下に海が見えたのは 覚えています
場所は少し違いますが こんな感じだったかな??
今は海など見えずに ビルが立ち並んでいます

時間が無くなり 「 文楽のお話し 」 を
聞くために 南麻布方面 古川橋へ向かいました
幼い頃
「 古川橋のタモトから 拾ってきた 」 と
聞かされていた 古川橋 です
もう昔の面影は 無いのでしょう
今は 上には高速が走っているし
道路も広くなっているに違いありません

古川は こんな小さな川 だったのかしら

生まれ育った地ですが もう少し年が大きければ
魚籃坂 伊皿子 亀塚公園 幽霊坂 など
名前の由来は? と思ったのでしょうが
その時は 何にも・・・
ただ ヒタスラ 遊んでいたのです
6歳まで と言うと 遊んで活動する範囲 は
大人より随分と狭い のでしょうね
それとも 過ぎ去った事を覚えている事が
人より少ないのかも しれません
もっと母に 幼いころの事を聞いておけば と悔やまれます
今度 姉に会ったら 写真を見て 説明してもらわなくては
と楽しみにしています